私は北海道北見市で生まれ育ち、大学進学のため東京都へ転居しました。大学卒業後は北海道に戻って旭川市で就職し、転勤で埼玉県に行きましたが、35歳で勤めていた会社を早期退職し、故郷の北見市に戻ってきました。
その後北見市で3年半、釧路市で13年間、さらに転職のため十勝地方の音更町へと移動をし、50代の半ばで短い期間ながら宮城県仙台市に行き、ご縁があって再転職をすることになって、現在は北海道の弟子屈町に住んでいます。
振り返れば、北海道から東京都へ、また北海道に戻って東北地方へ、さらに北海道に戻ってきたという、北海道、それも北海道の東部、東北海道と他地域との行き来を繰り返してきたのであります。
なぜ私はどこに行っても東北海道に戻ってくるのだろうかと思えば思うほど、きっと東北海道にいなければならない理由があるに違いないと思うに至りました。
東北海道という地域が私に求めることがあるとすれば、それは私がこの地域で何を成し、何を残すのかを明らかにするということかもしれないと、漠然と考えるようになってまいりました。
他地域に住む方々から「北海道に行ってみたい」「北海道は憧れの地」という言葉を聞くことがありますが、実際に北海道に住む者にとって北海道は少なくとも生活面、経済面においては必ずしも憧れの地ではありませんし、それが現実であると思っています。東京を中心とした首都圏をはじめとする大都市圏から見ると北海道が日本の中心から極めて離れた、いわば辺境の地であります。その意味では日本国内においてはあたかも外国のようなイメージがあるかもしれません。しかし、政治、経済、文化のあらゆる制度が日本の仕組み、運営システムに依っているため、多くの物事が日本の一般的な常識の中で平準化、標準化された内容に従っており、北海道の現実に合わないのも少なくないように見受けられます。また東京の発展が日本の発展であるようにして取り組まれてきたこれまでの様々な政策にも大きな問題があるように考えています。
また、多くの方々の北海道のイメージは札幌市を中心とした、いわゆる道央エリアであって、適度に便利で、適度に楽しめて、金銭的にも困らない程度の生活ができるエリアを想定しているように思うことが多々ございます。しかし、実際の北海道民は、長引く景気の低迷の中で身の丈に合った無理のない生活を続けています。将来に不安を持ちながらも困難を乗り越え、生き生きとした幸せな生活を送ることを願って日々の生活を送っているというのが現実の状態であります。
一方、東北海道という地域について、その地域区分から今一度見直す必要があると考えます。
私が住む地域は北海道の東側の地域であり、一般には「道東」と言われております。私は敢えてこの地域を「東北海道」(ひがしほっかいどう)と名付けています。なぜ東北海道としているかなど、東北海道については追って論じることにして、東北海道は北海道の西側(私はその地域を、一般には定着していない呼び名でありますが「西北海道」としております。)に比べると気候、風土、文化、人々の気質など、多くの面で異なるところが多いように考えております。そのため、北海道を一つの地域と考えていくことをせず、東と西に分けることが望ましく考えます。
一方で、Anthropocene(人新世)の社会経済システムがもたらしたGreat Acceleration(大加速)、さらにはPlanetary boundary(地球の限界)など人類を取り巻く環境の変化が進んでおり、もはや人災と言っても過言ではない、各地で散発する異常気象、自然災害の発生も見られております。このような状況に加えて、2020年の年末に「土の時代」が終わり、「風の時代」が始まったとも言われております。その意味でも、新たな考え方による新たな秩序、新たな制度が求められる時代が始まっていると考えます。
今後、自身の考え方がどのように展開していくことになるか、私にも予想ができておりません。
ただし、少なくとも日本政府を含めた行政への陳情や補助金頼みの体質からくる、支えられながら立ち上がる「自立」を目指した取り組みから、自ら考え、自ら動き出し、地域の中で支え合い、他人任せにすることなく、自分たちの責任で結果を出していく、それを「独りで立つ」という意味を持って「独立」を目指す取り組みに変えていくような、そのような意識をもって私の考えを展開していければ、と考えております。
ここまで、思い付きでまとまりのないお話になってしまっていればお詫びを申し上げます。
まずは、前書きにかえて、として、現時点において私が考えることを思うままに述べてまいりました。
2021.07.07
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